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米長哲学 [将棋]

相撲界がピンチに立っている。野球賭博に続き、こんどは八百長が大問題となっている。八百長問題は以前から疑惑があったといわれる。しかし、今回、大騒動となったのは、日本相撲協会がこれまでの財団法人から公益財団法人への認可を目指していたからだと思う。

会社組織は株式会社をはじめ色々な形態があるが、多くの会社組織が営利を追求するのに対し、財団法人は営利の追求が難しいような公益的な事業を行う代わりに税制面で大きく優遇された組織である。そして、財政が厳しい政府が、財団法人からも税金を吸い上げようという思惑から、公益法人改革と称する制度改革を進めている。要は、これまで財団法人だった組織の活動を吟味し、公益性が極めて高い組織のみ、公益財団法人としてこれまで通りの税制優遇を続けようという、まあそういう趣旨の改革だ。公益財団法人に認可されなかった財団法人は一般財団法人という形態に移行し、税制面での優遇が少なくなり、その分、政府の財政再建に貢献するわけだ。

しかし、考えてみれば、日本相撲協会が財団法人だったということが、今さらながら意外という気がする。儲からない事業を行っているから税制面で優遇されているという割りには、興業収入は相当なもので大きな黒字が出ているのではないかと思われる。また、年寄株が億単位の金額で売買される等々、多額のカネにまつわるゴシップが多すぎはしないか?

財団法人は当然のことながら、申請すればどんな組織でもなれるわけではない。国であったり、都道府県であったり、要は監督官庁がおり、そこへ申請して認められなければなれるものではない。日本相撲協会の監督官庁は文部科学省であるという。文部科学省が日本相撲協会が財団法人としてふさわしいと認めなければ財団法人としての認可を取り消される可能性があるのだ。協会幹部が一番恐れているのはその部分であるという意見がある。

さて、今回問題となった八百長。十両力士と幕下以下の力士との待遇の差が、天と地ほども違うことが今回の八百長の背景にあったとする報道が多い。確かにそのことは大きな要因であろうと思う。しかし、もう1つ忘れてはいけない問題があって、それは消化試合の存在である。

トーナメント戦の場合、負けた時点で戦いは終了するため消化試合というものは存在しない。ところが、リーグ戦とか大相撲のように勝っても負けても15番戦う(幕下以下は7番)ようなルールの場合、終盤戦に消化試合がどうしても発生するのだ。極端な話、優勝争いをしているケースと残留争いをしているケースを除く全ての試合が消化試合(あるいはそれに近い状態)に該当してくる。

そういう消化試合の中で、実は八百長が発生しやすい消化試合というものがある。それは一方が優勝または陥落の可能性があり、その対戦相手が完全な消化試合になっている場合である。大相撲の例でよく挙がるのが、千秋楽の取り組みで、片方が8勝6敗と既に勝ち越しを決めていて、相手が7勝7敗の一番。勝ち越している方は勝っても負けても、来季の番付に大きな影響はなく、7勝7敗の方が負けると十両から陥落するというような場合である。

前置きが長くなった。ここで、プロの将棋界にある「米長(よねなが)哲学」という言葉が登場してくる。これは日本将棋連盟の現会長である米長邦雄氏が若い頃から唱える勝負哲学で、「自分にとっては消化試合でも相手にとってその一番が大きな一番である対局には全力で勝ちにいかねばならない」というものである。将棋を知らない方にはどういうことかお分かりいただけるだろうか?

自分にとって大きな一番である場合に全力で戦うのは当たり前である。ところが、米長哲学がスゴイところは、相手にとって大きな一番である場合にはさらに全力で戦えということを言っている。そして究極のケースが、上記の「自分にとって消化試合で、相手にとって大事な大一番」の場合には命がけで勝たねばならないと言うのである。

もし、その消化試合の一番に負けるようなことがあるとどうなるのか?米長氏は、負けるとそこから勝利の女神は自分の方を振り向かなくなる(勝てなくなる)と言っている。名人位を争う将棋の順位戦では、毎年、最終局にドラマが生まれる。そのドラマこそ、「消化試合対運命の一局」の組み合わせの中で生まれることが多い。米長氏が現役の時は、そういう対局の時に、気合い満々の和服姿で対局場に現れたという(和服着用はタイトル戦の時以外は珍しい)。

日本相撲協会と同様に公益財団法人の認定を目指している日本将棋連盟であるが、米長会長曰く、「相撲にも『米長哲学』を導入を」。2月17日の産経新聞「正論」に米長会長自ら寄稿していた。その内容は日本将棋連盟HPでも閲覧可能だ。


自己紹介 [将棋]

本日、これまでにコメントを頂戴した方々へのレスポンスをアップすることができました。

今日は、前回の続き、鈴本早朝寄席の後のお芝居の話を書き込んで、2日間にわたる寄席+演劇三昧の思い出をいったん終了させる予定だったが、それは明日以降に延期し、遅ればせながら自己紹介をしておきたいと思う。

なぜ、ここで急に自己紹介をしておきたくなったのかというと、それは、私のハンドルネームが、全く意味不明と思われることに気がついたからだ。

私は学生時代を横浜で過ごし、大学では将棋部に在籍していた。学生将棋界では大学対抗のリーグ戦などがあり、1チーム7名で戦う団体戦には1年生から参加していた(それだけ弱小チームだっとということデス)。ある日、将棋雑誌の企画で、なんと我が弱小チームと社会人チームが対戦することになった。この企画は、学生チームと社会人チームによる勝ち抜き戦で、負ければ終わり、勝てば翌月の対戦へ進めるというものだった。雑誌には両チームの出場メンバー紹介コーナーがあり、大将、副将・・・七将までが詳細に紹介された。私は6将で出場し、紹介欄には「爆発力はないが大崩れをしない安定感は評価が高く、切れ味はともかく、粘り強く大変手堅い手を好んで指すことから“テガタジジイ”と呼ばれている。得意戦法は“ウソ矢倉”に“ウソ振り飛車”」と記載された。実際、私は仲間から「テガタジジイ」と呼ばれていて、最初は違和感があったそのニックネームに愛着がわくようになっていった。

以上、「テガタじじい」なるハンドルネームの由来の一席でした。


JT杯-山崎隆之七段VS丸山忠久九段戦 [将棋]

先日の土曜日(平成22年6月26日)、岡山市の桃太郎アリーナにて、JT杯プロ将棋トーナメントがあった。これはプロ将棋の公式戦の1つで、初手から一手30秒(途中一分単位で何回かの考慮時間がある)という早指しの棋戦である。出場棋士は前年優勝者と毎年賞金ランキング上位者による12名のトッププロで、会場は全国各地で公開対局される。

岡山市にはJTの営業拠点があったせいか、以前は毎年一局、公開対局の会場に選定されていたが、最近は何年かに一度の割合でしか開催されなくなってしまったようだ。今年は久しぶりの岡山大会なので、最近将棋に興味を持ちだした小2の娘を連れて観戦に出かけた。

このJT杯は色々な趣向が施されていて楽しいイベントになっている。例えば、この日の午前中は小学生の大会(高学年の部と低学年の部の2クラス)を開催し、その決勝戦2局を、プロの対戦の前にステージ上で公開対局している。この日の大盤解説は井上慶太八段。今年、岡山から26年ぶりに誕生したプロ棋士・菅井竜也四段の師匠だ。大阪弁の軽妙洒脱な解説は分かり易く面白かった。また、聴き手は毎回女流プロ棋士が務めるが、この日は里見香奈さん(女流名人・倉敷藤花)だった。本棋戦での聴き手役はこの日が初めてだったとのこと。対局は4年ぶり2回目出場の山崎隆之七段と13年連続13回目出場の丸山忠久九段。とても豪華な顔ぶれになった。

山崎七段はお隣の広島県出身であり、また、大阪の将棋大会などではよく審判などを努めて下さっているということで、私たちにはお馴染みの先生だ。昨年は王座戦の挑戦者になり、羽生王座と対決するなど、大活躍であった。羽生世代、渡辺竜王などを追うバリバリの若手棋士の筆頭格でありながら、ファンに対する物腰の柔らかさ、サービス精神はいつもいつも感動させられる。テレビ棋戦にもよく登場し、我が家では一家揃っていつも山崎七段を応援し、山崎七段のことを親しみを込めて「お兄さん」と呼んでいる。

対局では恒例の勝者予想クイズ、次の一手クイズが盛り込まれている。丸山九段は過去に2回この棋戦で優勝しており、大変な強豪だったが、この日の勝者予想は迷わず「お兄さん」。将棋を覚えたての娘は「どっちが勝ってる?」と心配そうにしていた。戦形は後手・山崎七段のゴキゲン中飛車に対し、先手・丸山九段が居飛車の最新形で対抗という将棋になった。局面は終始、先手・丸山九段が優勢に進め、山崎七段は前屈みでとても苦しそうな様子に思われた。中盤で山崎七段に2八銀打ちといういかにも筋の悪い手が出た。30秒将棋のため、苦し紛れに打った銀のように思われた。ところが、一見するとソッポの銀で、とても間に合いそうもないこの手は、丸山九段が攻めてこなければ、分かりやすい手順によってもしかしたら間に合ってしまうかもしれないという、そんな手であった。井上八段の解説によると、(ヘンな手だが)いわゆる「手を渡した手」なのだという。中盤の難所で相手に手を渡すことはとても勇気のいることだが、手を渡された相手も「手を渡される」ことで実は悩むものらしい。こういう駆け引きが観ていてとても面白かった。手を渡された丸山九段に、お返しのような2三金というヘンな手が出る。局後、丸山九段はこの手を悔やんでいた。

しかし、将棋はその後も丸山九段の猛攻が続き、私は最後まで丸山九段の勝ちだと思って観ていた。ところが、突然、丸山九段が投了。攻められっぱなしに見えた山崎七段の王様は際どくつかまらなかったのだ。

山崎七段にとってはこの対局が本棋戦の初勝利となった。この記念すべき対局を、岡山で観戦できたことが嬉しい。


有吉道夫九段が引退 [将棋]

5月24日、有吉道夫九段が引退した。

有吉九段は2009年度の将棋名人戦の順位戦の成績で引退が確定していたが、その後、テレビ棋戦のNHK杯戦の予選トーナメントを3連勝し、テレビ中継される本戦への出場を決める頑張りを見せていたため、日本将棋連盟が協議し、勝ち残っている棋戦が全て終了するまで(すなわち負けるまで)、対局できることとしていた。5/23に放映されたNHK杯戦では順位戦A級の高橋道雄九段に敗れ、5/24には棋王戦予選4回戦で関西期待の若手・矢倉規広六段に敗れ、全対局終了となり、自動的に引退となった。

有吉九段は岡山県出身で故・大山康晴十五世名人のお弟子さんだ。 私は小学校4年生の時に参加した子供将棋大会で優勝したことがあり、その内容が有吉九段(当時は八段)の目にとまったのか、「ボク、なかなか強いねぇ。おじさんとやってみようか。」と指導対局をしてもらったことがある。手合いは確か二枚落ち(飛車と角抜き)だったと思う。当時、私は中飛車(それも原始中飛車と呼ばれるもの)しか指しておらず、この指導対局でも同じ戦法で挑んだ。「ほう、中飛車か」とだけ、有吉九段は声を出したと思う。そして、5筋を固く守られ、そのまま抑え込まれて終わったように記憶している。当時、私はプロの棋士がどのくらい強いのか、全然知らず、有吉先生の強さに驚いた記憶がある(子供のクセにエラそうだが)。

大人になってからは、有吉先生はアマチュアの大会の審判長や倉敷藤花戦の大盤解説会などでお馴染みの先生となった。しかし、有吉先生に指導対局を受けたのは未だにあの一局だけだ。 

有吉先生は現在74歳。引退直前までは現役最年長棋士だった。1973年には中原誠名人から棋聖位を奪取しタイトルホルダーに。A級順位戦には通算21期在籍したスター棋士だった。攻めが強いことから「火の玉流」と恐れられていた。