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NHK漫才コンクールの思い出 [漫才]

私が東京漫才の魅力に目覚めたのは昭和50年前後のこと。当時は岡山のTV番組でも、結構、東京漫才を観る機会があったように思う。NHKでは昼の時間帯の「ひるのプレゼント」とか、「土曜ひる席」なんという番組でもみられたように思う。

東京漫才が栄華を極めていたのは昭和40年代だったと思う。てんや・わんや、桂子・好江、Wけんじ、天才・秀才、千夜・一夜、はるお・あきお、チック・タック、京二・京太等々、お茶の間の人気者が揃っていた。

ところが、多くのコンビが解散していき、昭和50年代になると、限られたコンビしかTVで観る機会がなくなっていった。そして、「ザ・マンザイ」というブーム(マスコミによって作られたブーム)が起こると、TVはハイジャックされたかのように、若い、多くは促成的に結成されたようなコンビばかりが登場するようになり、私が好む東京漫才は締め出されるかのごとく出番を失っていったのである。

そんな中、岡山で比較的多くの東京漫才を観ることができる貴重なTV番組が、NHKの「新人漫才コンクール」であった。このコンクールの出場コンビはなぜか東京漫才のコンビで、これに優勝することが大きなステイタスであった。歴代優勝コンビ等は次の通りである。 なお、黒字は漫才協会HPに掲載のもの、青字は小島貞二著「漫才世相史」の記載にもとずくものである(理由は不明だが両者には微妙な違いがある)。

・第1回(1956年)   優勝:獅子てんや・瀬戸わんや、2位:木田鶴夫・亀夫、3位:リーガル天才・秀才

・第2回(1957年前期) 優勝:木田鶴夫・亀夫、2位:春日富士松・雪雄、3位:内海桂子・好江

・第3回(1957年後期) 優勝:リーガル天才・秀才、2位:内海桂子・好江、3位:春日照代・淳子

・第4回(1958年前期) 優勝:内海桂子・好江、2位:青空うれし・たのし、3位:大空平路・橘凡路

・第5回(1958年後期) 優勝:大空平路・橘凡路

・第6回(1959年前期) 優勝:晴乃ピーチク・パーチク

・第7回(1959年後期) 優勝:青空千夜・一夜

・第8回(1960年)   優勝:美田朝かん・夕かん

・第9回(1961年) 優勝:大和わかば・東まゆみ、特別賞:春日淳子・照代

・第10回(1962年) 優勝:クリトモ一休・三休

・第11回(1963年) 優勝:Wけんじ、特別賞:都上竜夫・東竜子

・第12回(1964年) 優勝:大空なんだ・かんだ

・第13回(1965年) 優勝:新山ノリロー・トリロー

・第14回(1966年) 優勝:晴乃チック・タック

・第15回(1967年) 優勝:青空はるお・あきお

・第16回(1968年) 優勝:桂高丸・菊丸、特別賞:(優勝:)丸の内権三・助十

・第17回(1969年) 優勝:東京二・京太

・第18回(1970年) 優勝:大空みつる・ひろし

・第19回(1971年) 優勝:大瀬しのぶ・こいじ

・第20回(1972年) 優勝:Wエース、敢闘賞:(努力賞:)月見おぼん・こぼん、努力賞:(敢闘賞:)あした順子・ひろし

・第21回(1973年) 優勝:青空球児・好児、敢闘賞:榎本晴夫・志賀あきら、努力賞:大瀬ゆめじ・うたじ

・第22回(1974年) 最優秀賞:新山えつや・ひでや、優秀賞:春風こう太・ふく太

・第23回(1975年) 最優秀賞:Wモアモア、優秀賞:大瀬ゆめじ・うたじ、大空あきら・たかし

・第24回(1976年) 最優秀賞:昭和のいる・こいる

・第25回(1977年) 最優秀賞:星セント・ルイス

・第26回(1978年) 最優秀賞:東京丸・京平

・第27回(1979年) 最優秀賞:青空ピン児・ポン児

・第28回(1980年) 最優秀賞:青空ヒッチ・ハイク

・第29回(1981年) 最優秀賞:大瀬ゆめじ・うたじ

・第30回(1982年) 最優秀賞:大空あきら・たかし

・第31回(1983年) 最優秀賞:青空一歩・三歩

・第32回(1984年) 最優秀賞:高峰和才・洋才

・第33回(1985年) 最優秀賞:桂光一・光二

・第34回(1986年) 最優秀賞:新山絵理・真理

毎回5~6組のコンビと過去の優勝コンビが1組、それぞれ漫才を披露するのだが、審査員がいて、毎回ドラマが起こった。登場順はクジで決めるのだが、トップバッターが一番損だった。会場の空気が全然温まっておらず、お客さんがクスリとも笑わない。この貧乏クジを引いてしまった悲劇がたくさんあったことだろう。優勝間違いなしといわれていたツービートやさがみ三太・良太が優勝できなかったのはクジ運も大きく影響したようである。

私がこの番組を確実に観ていたのは1979年で、青空ピン児・ポン児の優勝は記憶に残っている。「世の中はやっぱりお金」という内容の漫才だった。 翌年の青空ヒッチ・ハイクは「エスカルゴ」だったなぁ。

毎回、過去の優勝者&入賞者を記した大きなパネルが登場し、紹介されていたが、全く知らないコンビが沢山いて不思議だった。「丸の内権三・助十」ってどんなコンビだったのだろう?

ある回で、ゲストだった青空一夜師匠が、歴代の優勝者を紹介していたときに、「このコンビはすでに解散」、「このコンビはただいま行方不明中」などと説明していた記憶がある。

 以降は必ず毎年観ていたと思う。優勝できずに毎年毎年出てくるコンビがいて、そういうコンビは顔と名前も覚えているので、思わず応援したくなった。そうしたコンビがようやく優勝を果たしたときは大きな感動があった。

東京漫才の若手の登竜門であったこのコンクールも34回で終了。 翌年からは「NHK新人演芸コンクール」に衣替えされ、落語の部とそれ以外の演芸の部という2部構成となってしまった。また、この頃、東京漫才のホームグラウンドであった浅草松竹演芸場が閉鎖され、東京漫才の長い暗黒時代が訪れることになる。東京漫才はこのまま滅んでしまうのか?当時は本当に心配に感じたものだ・・・。


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コメント 3

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1970年(昭和45年)第18回の 優勝者―大空みつる ひろしのひろしさんは
お元気でしょうか?消息をご存知でしょうか?ご存知なら お教えください。小生 は彼の錦糸中学校のクラス会幹事です。
by お名前(必須) (2015-09-03 08:28) 

てがた

書き込みいただきありがとうございます。

残念ながら、芸人の方々との個人的なお付き合いはありませんので、現在、どうしておられるかといったことは全く存じ上げません。

大空ひろしさんは、突っ込み担当の方ですね。声が青空好児さんに似ている方でした。

私が最後にみつる・ひろし漫才を聴いたのはNHKラジオの「真打ち競演」で、昭和60年頃だったと思います。

過去の資料をみると、昭和50年代前半頃まで、テレビの演芸番組等によく出演されていたようですし、間違いなく東京漫才の黄金時代を支えるコンビだったと思います。



by てがた (2015-09-04 06:11) 

飯塚勝義

静岡県下田市付近に住んでおられるはずです。数年前にお会いしました。

by 飯塚勝義 (2017-12-07 08:11) 

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